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2003-05-26

●スタジオでの本格的な授業。しかし、予想したとうりまた機材上のトラブルがあった。用意してもらったDVDプレイヤーではこちらが焼いたDVD-Rがかからないのであった。それは、予想していたので、SVHSに録画したものを使う。先週、「来週はレポートを書いてもらおうか」と言ったので、かなり集まる。

●マドンナについてはどうしてもとりあげておきたかった。マドンナは、わたしがニューヨークに住んでいた1970年代に、しかもほぼ同じ地域で初期の活動を始めていたこともあって、彼女の活動にはずっと関心をもっている。その自己顕示欲やある種の傲慢さもよくわかる。所詮は世界のセレブリティであり、商売人であるとしても、状況からそれなりのやり方で逃げないところを評価する。プロモーション・ビデオのタイムリーな事件もあり、イラク戦争との関連でとりあげる意味がある。

◆"American Life" (WPCR-11540)
このCDは、明らかにイラク戦争へのブッシュ政権の動きを懸念して制作された。しかし、そのプロモーション・ビデオは、ブッシュ政権の「圧力」で取り下げられた。これは、いまのアメリカ政府が、マドンナのような「メイジャー」なエンターテインナーですら許容できないということを意味するのか? このこともここで考えてみる必要がある。このビデオを取り下げた理由に関しては色々の説がある。彼女は、あたかも「圧力がかかった」というふりをして、自分の「過激さ」を誇示したかっただけにすぎないという説もある(たとえばMetaFilter)。それも事実だろう。そこがマドンナのおもしろさだ。

◆問題のプロモーションビデオ American Life self-banned video
ひっかかった(自主的に懸念した)のは、最後の場面で、転がってきた手りゅう弾をブッシュがつかみ、しかも、それが実は手りゅう弾ではなく、ライターで、それを使って彼が葉巻に火をつけ、ニンマリ笑うというシーン。

●マドンナのAmerican Lifeの歌詞(英文歌詞→Top Hits Online)の分析:彼女が1970年代ニューヨークの「理想主義的」な側面/解放的 (emancipating) な側面を下敷きにして仕事をしたきたこと。それが、いま、彼女自身のなかでも終焉の予感がしていること。今回は、このことを手がかりにして現在を考える。

●歌詞の解釈
映像/音楽作品であるからさまざまな解釈が可能。最低限いえることは:
(1)いまのアメリカに疑問をいだいていること
「別名を名乗らなければいけないの?」(Do I have to change my name?)
「やり方をまちがえたみたいね」(I guess i did it wrong)
「こんなモダン・ライフ、あたしに合っているの?」(This type of modern life, is it for me?)
(2)現状の否定と批判
「こんなモダン・ライフ、あたしには合わない」(This type of modern life is not for me)
「こんなモダン・ライフ、代償が大きい」(This type of modern life is not for free)
(3)自己反省
「あたしはアメリカン・ドリームを生きている・・・先端を行こうとした、トップを守ろうとした、そんなのファックよ」(I live the American dream, I tried to stay on top, ... fuck it」
「そしてやっと気づいたの、全ては見かけ通りではないということに」(And I just realised that nothing is what it seems)

●「アメリカン・ドリーム」
自分の夢がかなう/かなえることができるアメリカという観念は、アメリカ合衆国の始まりから合ったと言っても過言ではない。それは、ある意味で「アメリカ」という土地と「アメリカ人」のアンデンティティにもなってきた。
マドンナは、その意味で、1980年代にこの「アメリカン・ドリーム」を実現した人物の一人である。しかし、彼女のなかには、それ以前の(近くは1950年代流の――「女性は美しく、男は強く、富裕で、車と家は大きい・・・」といった)「アメリカン・ドリーム」には若干の距離を置いていた。それは、彼女が1978年にミシガンからやってきて鮮烈な影響を受けた当時のニューヨークの文化・社会状況と関係がある。

◆マドンナの履歴
http://www.angelfire.com/mi3/Madonna/

◆マリリン・モンローの映像
マドンナは、デヴュー当時、自分がマリリン・モンローと似ていることを強調した。しかし、それは、すぐにモンローのパロディ化へと進んだ。

◆「Simple Minds」『サタデー・ナイト・ライブ』 (November 9, 1985)
ケネディ兄弟が結束してマリリン・モンローを殺したという設定のパロディ・ショウでマドンナがモンローの役で出ている。

◆ 『マドンナ in 生贄』(A Certain Sacrifice/1978)
・退役軍人のからみ→現在のアメリカでの言説

◆マドンナ、東京公演 (TBS/1987)
American Lifeのなかでマドンナは、「男の子になろうとした、女の子になろうとした」と歌っているが、公演で見せる彼女の肉体は「男性」的(ジムで鍛えた肉体)でもあり「女性」的でもある。

◆『マドンナのスーザンを探して』(Desperately seeking Susan/1985)
マドンナは、いつも街の底辺からはい上がったタイプの人間を演じる。この映画では、リッチな環境の妻とすれっからしの街の女とがちょっとしたアキシデントで入れ替わってしまう喜劇。

◆『エビータ』 (Evita/1997)
1940ー50年代アルゼンチンの伝説的な女性(貧しい家庭から抜け出て首都にやってきてのちに大統領となるペロンに近づき、投獄された彼を助け大統領夫人になる。民衆の敬愛を集めるが病死。アルゼンチンの民衆の悲しみを集めた。1979年にブロードウェイで舞台化(ハロルド・プリンス演出、エレーヌ・ペイジ主演)され、ロングランとなる。この映画は、その映画版。ブロードウェイに先だちロンドンでジュリー・コンヴィントン(Julie Convington)が歌った「A New Argentina」(ロイド・ウエバー作詞)は、1977年12月以降全世界でヒットし、79年の舞台の公開を盛りあげた。(わたしは、当時のニューヨークの街であちこちからこの歌が聞こえてきたのを覚えている)。その意味では、映画でマドンナが歌い、CDもヒットしたマドンナ版は、ジュリーの二番煎じなのである。

●『エビータ』とマドンナ
この作品は、マドンナが最も出演したかった作品の1つだろう。ここには、底辺から自力ではい上がり、社会的名声を得て、民衆のために身をささげるたいというマドンナの「理想」が描かれているからだ。これは、「アメリカン・ドリーム」の1形態でもある。彼女の反戦思想のなかにもこの意味での「アメリカン・ドリーム」が働いている。

●アメリカン・ドリームと1970年代の文化
マドンナが自ら経験した「アメリカン・ドリーム」は、たとえばマリリン・モンローが経験したそれとは異なっていたし、彼女の「社会参加」や「社会批判」の意識も1950年代流のものとはことなっていた。